日本サッカーの落日

日本1−4ブラジル

「終わった」
ロナウジーニョとカカが同時にピッチを去った瞬間、オレはチャンネルをクロアチア-オーストラリアに替えた。残り1枠をかけたもうひとつのカードのほうが、気合と執念が感じられた。率直に、今回の日本代表に足りなかったものをこの2チームは持っていた。退場になることは、威張れることはないが、日本代表はカードをもらう数が少なすぎる。カードの数で気合が無いというのは、審判の資格を持っているオレが言うべきことでないのもわかっている。それでも、クロアチアとオーストラリアの必死なプレーをみればそういいたくもなるのだ。
オレは少年サッカーの指導をつい先日まで続けてきた。子供たちに口を酸っぱくして言い続けてきたことは「走れ!当たれ!声を出せ!」子供たちはできない。いや、やろうとしないのだ。どんなに、指導者が言い続けてもやるのは選手である。選手にやる気がなければ、指導者はピエロになってしまうのだ。オレが指導してきたチームは日本サッカー協会からしてみれば、底辺の底辺、最底辺である。最底辺のこの現象は、その場所の頂点であるべき代表も同じであった。この現実を身に染みて感じた。これが、日本サッカーの真実なのだ。
ジーコジャパントルシエ時代に比べ後退したと思われる事例は、給水だった。トルシエは、中東やアフリカの地での試合では何よりも給水を重視した。2000年アジアカップでゴールを決めた瞬間も水を飲みながらガッツポーズをしていた名波が印層的だった。ジーコジャパンは給水を軽視した。オーストラリア戦の坪井の痙攣はまさにそれである。この意識の退化が、体力不足のイメージを与えたと確信している。
2002年の自国開催は、ホームだから予選突破できたという声が耳に入ってくる。楽勝だったと・・・。いや、それは違うと反論したい。ホストカントリーが必ず、予選を突破しているという歴史を抱えてのプレッシャーはアウェイと違ったもので厳しかったのではないだろうか。そのプレッシャーに彼らは打ち勝った。しかし、ベスト16以上の結果を残せるだけの力はあったのに残せなかった。アウェイの地で、予選を突破しベスト8を目指すためのジーコジャパンだったのだが・・・。
日本サッカーはこの大会で完膚なきまでにやられたように見える。しかし、アウェイだけで観れば勝ち点0だった8年前の大会よりは、一歩前進した。日本のサッカーは自力では、まだ2回しかW杯に出ていない。この勝ち点1が4年後の糧となると信じている。そのためには、子供たちを含めた底辺からサッカーに対する熱い情熱をもう一度湧き上がらせる必要がある。ドーハの悲劇を経て、98年初出場を目指した時のハングリーさ。ホストカントリーとしての責任感に燃えた2002年。今回の大会は、日本全体がサッカーに悪い意味で慣れていた。苦い経験からGO FOR 2010だ!!日が昇らない明日は無い。